2008年01月06日
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新宿西口にあった東京生命球場の位置の傍証と東京物産、ニユートーキヨーとの意外な関連性!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 「1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場」の問題は「解決編・1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場の位置と理由を(ほぼ)確定!!」にて一応決着させましたが、傍証1つと新しい問題が出てきました。

傍証・新宿高校卒業生の記憶 §

 新宿高校のOB会の文章です。

野球部奮戦記 苦労した練習場探しより

 私は昭和30年卒なので、昭和27年~29年の3シーズン硬式野球に熱中し、わが青春の1ページを飾ったと思っている。

(中略)

 当時の硬式野球部の練習はひどかった。硬球は危険との事で校内の練習は禁止されていた。近く(現在のNSビル辺り?)の東京生命のグラウンドを借りたり、遠く多摩川の川原のグラウンドまで行き、真暗になるまで練習が続いた。

 新宿高校、NSビル、東京生命球場推定位置は地図上で見ると以下の通りです。

 昭和27年~29年のことなので、淀橋浄水場跡地のグラウンドという可能性はありません。

 NSビルと推定位置ではかなり位置が違いますが、新宿高校を起点にして考えると、間違いやすい似たような位置にあると言えます。また、NSビルの位置はこの当時淀橋浄水場があったと考えれば、この思い出話で言及されている東京生命球場は推定位置にあるグラウンドのことだと考えるのが妥当だろうと考えます。

 ちなみに、この文章からは、このグラウンドを近所の公立高校の野球部に貸せるほど空いていたことが読み取れます。女子プロ野球が1950~1951年にしか存在しないということは、昭和27年~29年つまり、1952~1954年には「女子プロ野球の本拠地」としての機能が失われ、利用率はあまり高くはなかったのでしょう。

東京物産グラウンドとの関係 §

 「解決編・1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場の位置と理由を(ほぼ)確定!!」で紹介したとおり、この推定位置は新宿区地図集(新宿区教育委員会)の復興新宿区全図 昭和28年(1953年)を見ると、「東京物産グラウンド」(印刷がぼやけているので文字は違うかもしれない)と書かれています。

 では、東京物産とは何だろう?と思って軽い気持ちでGoogleさんに訊いてみたらアッと驚く結果が出ました。

東京物産

より抜粋

東京物産 株式会社  

本   店 東京都新宿区百人町2-25-13  

設立年月日 昭和16年6月4日

 東京都新宿区百人町というのは高田の馬場の近くで、十二社から遠くありません。しかも、昭和16年から存在します。東京物産グラウンドというグラウンドは、この会社の所有物だった可能性は高そうです。

 更に、この会社の事業内容を見てアッと驚きました。

 当社は株式会社ニユートーキヨー及び関連会社経営の営業施設及び従業員と社外顧客の各種損害保険(損害保険ジャパン・三井住友海上火災)と生命保険(アメリカンファミリー生命保険・損保ジャパンひまわり生命保険・三井住友海上きらめき生命保険)の募集をする保険代理店と総合リース等を主な取り扱い業務とする会社です。

 なんと保険を扱う会社です。しかも、複数の保険会社と取引があります。

 ということは、この当時、東京生命との取引関係が存在した……という可能性もあり得ます。取引が無くとも、何らかの付き合いが存在した可能性もあります。

 つまり、東京物産グラウンド→東京生命球場という名前の変化には所有会社の「保険業務」という接点があり得るのです。

 話はまだ終わりません。

 東京物産の親会社の「株式会社 ニユートーキヨー」はスキヤ橋のビヤホールとして始まった会社ですが、実は本社の所在地は違ったのです。

会社概要より

本  店 〒100-0006 東京都千代田区有楽町二丁目2番3号

本  社 〒169-8530 東京都新宿区百人町二丁目25番13号

 この東京都新宿区百人町二丁目25番13号という番地は、東京物産の東京都新宿区百人町2-25-13と同一です。つまり、十二社に比較的近い位置です。

 ニユートーキヨーというのは、アルコール類を提供するレストランを経営する会社ですから、もちろんかつての十二社が持つ歓楽街という性格と相性は適合します。

 しかし、芸者も多い伝統的な待ちと、ビアホールの相性が良いかは分かりません。

 そこでもう1つ興味深い記述を発見しました。

歴史(昭和12年~昭和62年)  ニユートーキヨーより

昭和12年10月 1日 ● 合名会社ニユートーキヨーを設立し、ビヤホール経営を専業とする。

 「専業とする」ということは、それ以前は「ビヤホール以外もやっていた」可能性を示唆します。十二社のあたりでビヤホール以外の飲食店をやっていた可能性もあり得るでしょう。あるいは、そのような飲食店ないし他の店と関係があった可能性もあり得るでしょう。

 つまり、東京物産→ニユートーキヨー→十二社という連鎖があり得、その場合、東京物産のグラウンドが十二社に存在することは十分に強い関連性が考えられます。

 しかし、ニユートーキヨーがいかに存在感のある飲食事業者だとしても、それが単体で社員の福利厚生のためにグラウンドを所有するというのはストレートに納得ができません。しかも、繁華街の目の前です。

 この件は、更に見てみると別の可能性が見出されました。

会社概要の事業目的より

(1)料理飲食店、給食、貸席及び宴会場の経営並びに経営受託

(2)ホテル、旅館、スポーツ施設の経営

(以下略)

 つまり「スポーツ施設の経営」という事業目的も登記されているようです。

 子会社の名を冠した東京物産グラウンドは、それ自体が事業を意図して用意されたグラウンドであるという可能性も出てきました。

 しかし、この場所柄から言えば、健全なスポーツを意図した施設とは考えにくいのも事実です。

 とすれば、ショートパンツの容姿の良い女性を見せる性的な「見せ物」としての女子プロ野球のために用意されたと考えることもできます。

 では、東京物産やニユートーキヨーではなく、最終的に球場に東京生命の名を冠したのはなぜでしょう?

 当初の見込み以上に金が掛かりすぎたので、より大きな企業に権利を譲ってしまったという可能性も考えられます。

全ては可能性 §

 既に大風呂敷を広げていますが、ここから先は大風呂敷の広げすぎになるので、ここで終わりです。

 全ては可能性であり、単なる推測に過ぎません。

 しかし、十二社、東京物産、ニユートーキヨー、「見せ物」としての女子プロ野球の間に関係があってもおかしくない距離感の近さを感じるのも事実です。そして、求心力は十二社という土地に存在するように見えます。

 現JR新宿駅でも新宿追分でもなく、十二社です。あるいは山手線以東の銀座でも日本橋でも浅草でもなく山手線以西の十二社です。山手線以西に何らかの大きなドラマがあり得るのは新宿副都心成立後だと思っていたので、それ以前に何かがあったという可能性の示唆は、ワクワクしてきますね。

 これが歴史ミーハーをやる面白さでしょう。

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